QJグラビアアイドル特集

今の仕事にも関係するので楽しみにして読みましたが、まあなんつーか・・・不満。これに限らず最近は雑誌読んでも、もうちょい頑張ってくれよって思うことが多い。もちろん歳とったから、昔の何も知らないで全てにへぇへぇっていって読んでた頃より新鮮味がないって言うのもあるとは思うけど、それだけではなかろう。今回のQJに関して言えば、単純にインタビュー、記事が並んでるだけで何の視座もありゃしない。まあQJってこんな感じだっけという気もしないこともないけど、一個もパンチのある記事がなかったのがいたかった。あと単純にタレントのインタビュー多すぎだし。ほしのあき小池栄子MEGUMI熊田曜子若槻千夏中川翔子仲村みうと並んでるけど、この中ならほしのあき仲村みうだけだろ、おもしろそうなのででてきそうなの。ていうか、ほしのあきとかQJが唐突に特集しそうな人である気はする。あとは覆面座談会とか年表作ってれば良かったのに。
最近の雑誌どうよっていうのも、よく言われている話ではあるんだけど、やっぱりなんか作り手がいる文脈がすすけて見えすぎてるって気がしますな。どんなものにも当然文脈ってのはあるし、そこから逃げでることはできないとはしても、もうちょっと文脈から外れようとか出ようとか頑張ってほしい。
もちろん、雑誌作ったことないので、テーマ作る段階とか記事頼む段階とか記事上がってきた段階とかいろいろある中で、仕事として最後まで仕上げなきゃいけないっていう要請と、おもしろいもの作りたいという欲望とが葛藤をどのように繰り広げているのかとか全く親身になっては考えていないわけですが、まあ勝手な読者の感想としてはもっと頑張ってよと思いますよ。
こう考えると、仕事っていうしばりがないフリーペーパーとか同人誌の方が、おもしろいものできそうっていう気もしてきますな。まあそれならそもそもネットでやればいいじゃんという気もしますが、年数回とかのもんをネットでやってどうするという話でもあります。最近ではフリースタイルって雑誌がおもしろかったですね。なんか鉄板で逃げうってるじゃんという意見が聞けそうですけども。
あと欲望とか書いてて、思い出しましたが、G.ドゥルーズ『アンチ・オイディプス』の新訳(宇野邦一)が出ましたね。文庫で。最近の学生ってこういうの読むんですかね?小躍りしてたらいいなあ。
でこんな事書いてたら、QJ佐々木敦ニューアカデミズム以降について書こうとしてて、おもしろくなりそうな気もしたけど、なんかよくわからなくなったのを思い出した。ニューアカを蓮実柄谷浅田で代表させて、ポストニューアカを宮台福田大塚で代表させてた所までは、ふむふむとか思って読んでたんだけど、最後が北田とかの名前を挙げつつも、稲葉を一番のテーマにあげてきて一気に文章のテーマから脱落していったのです。ポストニューアカでこの三人の名前が並んでるのはへえって思ったんだけどなあ。いろいろ90年代振り返りをやってますけど論壇的な90年代も振り返るのもいいかも知れませんな。小林よしのりとか歴史教科書を作る会の人達とかの扱いが難しいというか、なんだったのかねという感じでもありますが。浅羽とかの名前が全然出てきませんが、僕の場合読んでないわけじゃないけど、思い入れないからどういう位置づけだったのかよく分からないのですね。

なんか固有名詞ばっかりでなんだかなあな日記になった・・・