東浩紀 北田暁大『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム 』

期待して買いましたが、喫茶店でざっと読んだ感じ、期待はずれ。まあよくよく考えてみれば、僕はいなかものであり、その観点からいえばこの人達とは敵対関係になるので読みながらプンスカむかつくのも当然と言えます。田舎ものの僕とは、人材に関する視点が完全に違います。
下北沢の話はまた別の問題としてムカつきながら読んでたんですが、そのむかつきのおかげで小説書けたのでよしとしましょう。下北沢の話は、単純に言えば、あんな所残したいかぁ?って話につきるんですが、下北沢というのは、期待して初めて街を訪れた人間ががっかりする東京の街ベストワンだろうと思われ、さぞ安いお店がたくさんあるのではと思いきや、実際は下北の若者イメージを期待したさほどの工夫もない店が中心をしめてて、住む人間も親の仕送りがたくさんある学生ばっかり・・・まあこれは調べてないから知らないですけど、まあとにかく、土地が便利であることをさしひいても若者イメージのせいで物価が高いというばかげた所だ。
もちろん、掘れば良い店がたくさんある所だとは思うし、そこから察するに店を出したいと思った人には、魅力的な場所なんだろうとは思うが、そこまで話はいってないのでおいておく。演劇の人が文化生産度が落ちるということで、反対するなら分かるかもとは思うが、下北沢=演劇ももう終わりにした方が良いとか言われそうな気もする。
ああいう街にあんなに休日に人が集まるようになったっていう歴史は認めざるをえないわけですが、これも皮肉にしかなってない気がする。でかい店が並ぶよりも、小さい店が並ぶ街並みの方が好きっていう感性は僕もあるけど、下北沢の場合は嫌な方向に行きすぎた。
下北の話のむかつき具合っていうのは、なんか68年の話について今語る人のもの読んだ時のむかつきに似てる。なんか諸々リンクしてる話な気はするが、簡単にリンクさせてはいけませんという気もする。下北の若者イメージは駄目な例であるっていうのはそれなりに共通見解になってると思うけど、それ全部無視してるっていうのも気になる。
まあ下北の悪口ばっか書いてるが、半年に一回は行くし、喫茶店靴屋がたくさんあるのはいいことだし、いろいろ利用価値の高い店も点在してるとは良く聞く。ただ、前提としては、下北はいいイメージではないということ。そう思った上で、喧噪を避けつつ、すたすたと自分の行きたい所へいくのであって、散歩したいとは思わない街。いろいろ書いたけど、下北の話は共通見解としてある程度あるからぐだぐだ書かない方がよかったよなとは思っています。